iデンタルクリニック
横浜市都筑区/川和町/川和町駅
- 歯科
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井上 浩太郎 院長への独自インタビュー
車の整備士から歯科医師に!?
僕の歯科医師への道は、紆余曲折ありました。子どもの頃、医師だった父から「お前は医者になれ」と言われていました。けれど高校3年生のとき、車の免許を取得したことがきっかけで車の魅力にはまってしまい、医者になろうとは思えなかったんです。
それでも両親に言われるがままに国立大学の医学部を受験することになりましたが、当然受からず、浪人をすることになりました。その後も車への想いが募るばかりで、両親には「予備校に行ってくる」と言って、車の整備のアルバイトをしてました(笑)しかし両親にばれてしまい、それがきっかけで家を飛び出してそのまま車の整備士になりました。車を分解したり、部品を組み立てたりするのが楽しくて、あっという間に5年も経っていました。
そんな矢先、連絡をとっていなかった両親の身体の具合が良くないと聞き、実家に戻ったんです。そこで両親から「親の最後のお願いだから、もう一度受験してほしい」と説得され、「そこまで言うなら…」と思い直し、昭和大学歯学部の2次募集を受験することになったんです。短期間の勉強では受かるはずがないと思ったんですが、なんと受かっていたんです!慌てて電話ボックスに駆け込み、両親に電話したことを覚えています。
入れ歯や噛み合わせについて学ぶ日々
大学に入学したものの、同級生とは6歳の差があったため、最初はジェネレーションギャップを感じました。 それに歯医者を目指している人ばかりだったので、当時は浮いていたかもしれません。ただ、車の仕事に携わっていたこともあって細かい作業は好きでしたから、学んでいく中で楽しさを見出していったように思います。
卒業後は同大学病院の補綴科に入り、入れ歯や噛み合わせについて学ぶ日々を送りました。当時、大学を卒業したばかりの僕は、患者さんの入れ歯を技師に頼まず自分で作っていたんです。患者さんの歯から型を取り、ろうで土手を作ってプラスチックを流し込む。できた入れ歯を患者さんに試してもらう...。そういう一連の流れを全て自分自身で行えたのは、良い経験でした。
出口からの徒歩ルート
所要時間(当社調べ):