えみ歯科医院
横浜市青葉区/荏田西/市が尾駅
- 歯科
- 小児歯科
- 歯科口腔外科
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有我 恵美子 先生 & 朋子 先生への独自インタビュー
母子2人で協力しながら、お口の健康をサポート
【有我 恵美子 先生】
実は母子3代で歯科医をやっています。幼いころから母の背中を見て育ってきたのですが、昔の歯科医は忙しいため手際がよい分治療が痛いと感じることが多かったのです。嫌なことが早く終わってよい面もありますが、自分が治療するなら痛くない治療ができたらいいな、とぼんやり考えていました。母からは歯科医を継ぐよう育てられてきたわけではありませんが、身近なロール・モデルとして尊敬していました。
大学を卒業した後は、母の手伝いをしながら臨床の各種技術を学ぶことができました。診療科目は一般歯科にとどまらず、口腔外科、小児歯科など多岐に渡っておりまして、開業医に必要な技術のほとんどを学ぶことができました。母は親知らずの抜歯が得意で、特に入り組んだ場所にできた親知らずを上手に抜くのです。母の技術を超えられないことをもどかしく思うこともありました。
結婚後は千葉大に勤務する主人に付き添って、鴨川市に行き、下の子供が保育園に預けられるようになってから再び近くの診療所で勤務医として働きました。最初から開業を念頭に置いていましたので、別の診療所でも新しい技術が学べたことはラッキーでした。その後横浜市の中山で1993年11月に独立開業し、当時小学生だった朋子先生を筆頭に3人の子供を育てながら診療させていただき、現在に至っています。時には子供を背中におぶって診察させていただくこともありましたが、患者さんのご理解が深く大変助かりました。こちらに開業してからも、中山のときからの患者さんが足を運んでくださることがうれしいです。
【有我 朋子 先生】
わたしは生まれたときから母と祖母がお手本として存在していましたので、物心ついたときから歯科医になりたいと考えていました。二人の話は面白く、子供心にも興味深かったのです。歯学部に合格したとき祖母はとても喜んでくれたのですが、歯科医師免許を取る前に亡くなってしまいました。白衣を着たわたしの姿は、常に天から見守られていると思うと、身が引き締まります。また子育てにも歯科医師の仕事にも両方手を抜かず全力で働いてきた母を、心底誇りに思っています。
大学卒業後は義歯について学びたかったので、母校の補綴(ほてつ)科の臨床義歯講座に残り勉強しました。その後は訪問診療に興味がわき、非常勤の専科生として残りながら1か月に2回通って勉強させていただいています。
ゆっくりと時間を取って、痛みのない治療を心がける
【有我 恵美子 先生】
何よりも治療が痛くならないように気を遣っています。麻酔のときも注射針が入るときの「チクッ」とした感じや、薬が入っていくときの違和感をできるだけ軽減できるような道具を使っています。施術をゆっくり行うためには、当然お1人ずつにかける時間もたっぷりお取りするようにしています。