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諸橋 均 院長

HITOSHI MOROHASHI

見えない部分の治療こそ、丁寧に、確実に。
患者さんの大切な歯を守っていく。

大学卒業後、勤務医として幅広い症例に携わり、スキルを磨く。1983年、横浜市青葉区に開業。

諸橋 均 院長

諸橋 均 院長

諸橋歯科医院

横浜市青葉区/あざみ野/あざみ野駅

  • ●歯科

文系から理系に転身、猛勉強をして歯科医師に

諸橋 均 院長

両親が歯科医師だったのですが、身近で見ていた当時は跡を継ぎたいと思いませんでした。親が自営業だったからこそ、自分は外の世界で働きたいと思ったのです。幸い進路については特に強制がなく、選択は自由でした。そこで社会科学系に進みました。卒業後の進路は一風変わっていまして、航空写真測量の会社で地図データの営業をさせていただきました。 

学生時代から、法学者である中川善之助先生(1897~1975年)にかわいがっていただきました。わたしの結婚式にお越しいただくほど親しくさせていただいていたのですが、ある日先生とお話していて人に尽くす仕事の尊さを思い知りました。、人と学問をこよなく愛す先生でした。そのとき、身体が不自由だった友人のことを思い出しました。小学生の頃から家まで迎えに行き、ともに学校に通っていた彼は、大学入学とともに亡くなってしまいました。わたしは「もっと彼のためにしてあげられることがあったのではないか」と悔やみました。

その思いを胸に改めて自分の進路について熟考したところ、やはり医療の道で困っていらっしゃる方をお救いしたいと思うようになりました。「思い立ったら吉日」と勤め先を退社し、すぐに歯学部の受験に取り掛かりましたが、理科系に転身して18-19歳の青年たちと戦っていくのはなかなか大変でした。一般教養課程も文系学部とはまったくカリキュラムが異なりますので、編入というわけにもいきません。とにかくがむしゃらに勉強して歯科医師免許を取得し、母校OBと両親のクリニックで修行させていただきました。準備期間の10年はあっという間でした。

開業は昭和58年(1983年)です。両親はすでにリタイヤしてあざみ野で暮らし始めていました。わたしは長男ですので、親の面倒を見るためにあざみ野に引っ越し、そこで開業することとなりました。当時あざみ野があった横浜市緑区は港北区、緑区、都筑区、青葉区の4つに分区して宅地造成が進み、あざみ野も街として拓けてきました。人の流入も増えてきましたので、多くの方にお会いする機会に恵まれました。この場所を開業地にできて、本当に良かったと思います。

患者さんとのコミュニケーションを大切に、あらゆるニーズにお応えする

諸橋 均 院長

一般歯科、口腔外科、小児歯科です。矯正は守備範囲から外れますので専門の先生をご紹介しますが、そのほかの治療でしたらある程度のことはわたしがさせていただいています。わたしの世代の歯科医師は「なんでもこなせて一人前」という風潮がありましたので、「開業するからにはすべて自分で」と決めていました。最近は歯科医院も増え、専門医の先生との連携も進めておりますので、ケース・バイ・ケースでさまざまな先生をご紹介できます。

診療方針は、リラックスして治療をお受けいただくことです。当院には何十年も通っている患者さんが多く、治療時間のほとんどは雑談に費やされています。ですので、わたしも患者さんもだいたい笑いながらやっていますから、緊張する方はほとんどいらっしゃらないようです。川柳が好きな患者さんとは、毎回お題を出しあって治療しています。ご高齢の方が多いですから、人によっては歯の治療がメインではないこともありますね(笑)。

見えない部分の治療こそ、丁寧に、確実に

諸橋 均 院長

時折さまざまな事情からほかの医院で歯を抜いてしまった患者さんにお会いするのですが、「もったいない」という想いでいっぱいになります。やり方によっては残せたはずなのです。特に40代で多くの歯を失った患者さんがいらしたときは、びっくりしました。わたしが昔から一番重視して手間をかける治療は「根管治療」です。この治療は、虫歯が進んで神経を抜いた歯の根っこを殺菌・消毒して薬を詰めていく措置ですが、少しずつ根を掘っては消毒する細かい治療で、「根管治療は”根気治療”だ」とおっしゃる方がいるほど手間暇のかかるものです。しかし見えないところをきちんとやるからこそ、歯は残せます。わたしが使っている道具はドイツ製で、もうメーカーが生産していない古いものですが、実に使いよく精密な仕事ができます。
歯を失ったらインプラントにすればよいではないか、とお考えの方もいらっしゃるかと思いますが、人工歯根は骨にしっかり固定されます。わたしたちの歯は固定されておらず、歯根と歯槽骨の間にある歯根膜(しこんまく)という組織の存在を常に感じながら咀嚼しています。この組織はサスペンションの役割をしていて、歯の微妙な感触をつかさどっています。口に入ってきた食べ物の固さ、やわらかさはこの歯根膜を通じて認識できます。歯が骨にしっかり固定されてしまうと、歯根膜が機能せず噛んだときの感触がわからなくなってしまいます。食べる楽しみをいつまでも持ち続けたいのであれば、自分の歯を残すに越したことはありません。

大切な歯を守り、いつまでも美味しく食事を召し上がっていただくために

当院の待合室には、「歯は命。食べる楽しみいつまでも」と書かれたポスターが貼ってあります。歯(義歯も含めて)があれば咀嚼できますし、それにともない唾液の分泌も促されます。口は「健康の入り口」です。健康寿命を延ばすには、自分の歯で噛んで食べることが一番です。そのために、ご自身の歯でさまざまな食感をいつまでも楽しめるよう、患者さんの歯を少しでも多く残してさしあげたい。当院は認定の「横浜市認定歯周疾患検診医療機関」ですので、歯周病などで気になることがあれば、いつでもご相談にいらしていただければと思います。

これから受診される患者さんへ

先ほども申し上げました通り、患者さんには安心して治療を受けていただくよう、心を配っています。とてもありがたいことに、以前当院を訪ねてきた友人が「この歯科医院は待合室で待っていて叫び声が聞こえてこないね」と言ってくれました。患者さんには「痛いときは左手を上げて教えてください」とお伝えしてきましたが、これまで手を上げた方は少ない様です。

地域の方には、末永く健やかにお過ごしいただくために、自分の歯をなるべく残すようお伝えしたいですね。健康寿命を延ばすには、口の健康を守るのが一番です。最近は歯科に関する記事も新聞や雑誌で多く見かけるようになりましたので、気になる記事はコピーして患者さんにお渡ししています。
患者さんが喜ぶ顔をみるとこちらも嬉しくなります。それがやりがいと成っています。

※上記記事は2015.05に取材したものです。
情報時間の経過による変化などがございます事をご了承ください。

諸橋 均 院長 MEMO

  • 出身地:東京都
  • 趣味:カメラ、釣り、弓道(2段)
  • 好きな本・作家:松下幸之助、城山三郎。特に松下幸之助の『道をひらく』(1968年、PHP研究所)はわたしのバイブルです。
  • 好きな映画:西部劇
  • 好きな言葉・座右の銘:日々是好日
  • 好きな音楽・アーティスト:パーシー・フェイス楽団、ポール・モーリア
  • 好きな場所:伊豆

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