ぶどうのえだ歯科医院
川崎市川崎区/富士見/港町駅
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電話 | 044-223-5243 |
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所在地 | 神奈川県川崎市川崎区富士見1-6-15 コンフォール川崎富士見101 |
最寄駅 | 港町駅 |
駐車場 | 駐車場あり 有料駐車場 50台 |
WEB | |
休診日 | 日曜・祝日 |
診療時間 |
[月曜・火曜・水曜・金曜]09:00~12:00 14:30~17:30 [土曜]09:00~12:00 14:30~16:30 |
特徴 |
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SHINJIROU KAWANO 河野 伸二郎 院長
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※医院情報は神奈川ドクターズ(株式会社アートブルー)が独自に収集したものです。記載されている内容は変更されている場合もございます。来院の際は念のため各医院様へご確認ください。また、情報の修正をおこなう場合は『掲載情報の訂正・削除・追加の依頼』よりお願いいたします。
河野 伸二郎 院長への独自インタビュー
自動車づくりからの方向転換、紆余曲折を経て歯科医師に
少年期の入り口で「自分とは何か、どうしてここにいるのか?」を考え始めたのですが、常にこの考え方が自分の人生を動かしてきたように思います。そう考えるようになったのは、カルカッタの小学校にいた小5~小6の半年間です。そこはフランシンコ・ザビエルの名前を冠した学校で、英国人の教師からキリスト教に基づいた教育を受けました。もうひとつの大きな影響は、当時わたしがいた環境です。父は航空会社に勤めていてカルカッタの日本人コミュニティに属していました。小さな社会ですから、父のもとにはさまざまな方が訪ねていらっしゃいます。丸紅、日本郵船、三菱商事、三井物産…など名だたる会社の方が父と交わす会話を子供ながらに聞いていて、早くもどんな職業に就くべきか考えていました。そんな風に、自分はどんな風に生きていくのかを一人で考えていく独立心が、幼少期から養われていったように思います。
歯科医師になるまでには紆余曲折がありました。父の友人の話から最初に思い描いた将来像は、海外を舞台に大きな商談を動かす商社マンだったのです。文科系が不得手だったわたしは慶應義塾大学工学部に進み、セールスエンジニアを志しました。オイルショックを始めとするもろもろの事情から商社への就職はかないませんでしたが、「モノづくり」の関心はあったため日本発条に就職し、トヨタにあった同社の工場で自動車作りに関わりました。しかし元々独立心が旺盛なわたしは、常に誰かの指示を仰がないと仕事が進まないことに、少しずつ疑問を感じるようになりました。もし現在だったら、ベンチャー企業を興すことを考えたかもしれません。しかし当時は転職することですら、何かしらタブー視される風潮がありました。
親に再度学費の無心をしにくかったので、働きながら公認会計士として独立する道も考えました。しかしわたしの性格をよく知っていた両親は、「じゃ、医学部を受験したら?」とあっさり学費を出すことを承諾してくれました。家庭教師をしていた教え子は歯科大を受験しましたし、知人にも歯科医師は何人かいました。わたしの関心はむしろ歯科医師になることにありましたので、歯科大受験を決めました。
もう一つの母校である神奈川歯科大は臨床の研修に力を入れていました。ですので在学中にさまざまなことが学べます。また卒業後にお世話になったクリニックが激務でしたので、たった1年で相当の技術が習得できました。後輩の育成も任されていたので自信もつき、卒業後4年で開業できました。
診療の傍ら、フィリピンでの支援プロジェクトにも尽力
歯科大の同級生がフィリピンでの支援プロジェクトに参加していて、その話を聞いたわたしはすぐに勤め先の院長先生に相談し参加の了承を得ました。元々は商社で海外を舞台に仕事をしたいと思っていましたから、話を聞いて居ても立っても居られなくなったのです。最初は虫歯治療から始め、その後は「フィリピン口唇・口蓋裂手術プロジェクト」に実行委員長として参加させていただきました。日常生活に不自由な障害を持ったお子さんがそのまま成長してしまうことに大きな問題意識を感じたのです。後発国では高額な治療費を個人が出すことは困難です。そこで短期の医療許可を政府に申請し、手術させてくれる病院を探し、専門医とも交渉しました。幸い幼少から英語が得意でしたので、ファクスを含む各種コミュニケーションを担当し、仕組みづくりに貢献しました。1985年当初は、ボランティア活動がまだ日本に定着していませんでした。歯科医院自体が相当忙しかったにも関わらず、わたしの意志を汲んで快諾してくださった院長先生には今でも感謝しています。
わたしたちが海外貢献に関わり始めたことで、母校の中にはNPO法人ができボランティアの仕事は拡がりつつあるようです。
河野伸二郎先生は慶應義塾大学の先輩です。現在、横浜市歯科医師会の副会長を務めておいでで、私に地域保険医療の大切さを教えてくださった先生です。