ひさすえ歯科医院
川崎市高津区/野川/武蔵新城駅
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ORIDO CHIDUKO 織戸 千津子 院長
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いつも思っていることは、患者さんの気持ちにそえる治療をしたいということです。
そして、患者さん自身が自分のお口の中の状態をわかって、自分で判断してベストな状態でいられるお手伝いをしていきたいと思います。
自分の体は、24時間つきあっている自分が一番よく知っているはずなのですから。
具体的には、急性症状の治療のあとは、まず一番にプラークコントロールをしていただきます。
歯みがきって、本当はとてもむずかしいのです。
織戸 千津子 院長への独自インタビュー
歯科医師免許を取得後、紆余曲折を経て開業に至る
母が専業主婦でしたので、こどもの頃から「手に職をつけなさい」と言われながら育ちました。選択肢として心理学者、医師、歯科医師について考え、どれにしようか悩んだ結果歯学部に進みました。今から30年以上前ですと歯科医師の数は少なく、卒業後は比較的早く開業できるからです。職人的な要素も魅力でした。
ところが大学で専門課程に入りますと、その職人的な要素に抵抗を覚えました。わたしは人と関わることは好きですが、歯のような小さな部分のしかも特定の箇所にこだわってやっていくことが嫌になり、当時は歯科医師を断念することも考えました。自分がお医者さんという職業に就くことにも疑問を覚えるようにもなっていましたので、専攻生としての2年間を医局の小児歯科で過ごした後は、築地保健所で公務員として働くことにしました。
しかし困ったことに、途中でこの仕事も向いていないことがわかってきました。苦手な事務仕事がついて回るのです。健康診断があるときは繁忙期ですが、それ以外は時間があり歯科の勉強をやり直すうちに再発見がありました。気が付くと大学時代よりも歯科のことがずっと好きになっていたのです。もともと人と関わることが好きでしたから、やはり自分は歯科医師として開業すべきだと考えるようになり、そのための準備を始めました。
当時は都内での開業を考えていたのですが、すでに歯科医師が増え始めていて競争が厳しいことがわかりました。そこでほかの候補地を探すことにし、2、3か所拝見してこちらに決めました。駅から離れていて不便なところにありましたので、半ば「人助け」的な気持ちもあったのかもしれません。住宅地にあり交通も不便だったため大家さんは歯科医院を募集していましたが、歯科の知識がない方だったようで、詰め物や入れ歯を作るような専門のスペースを置く広さがなくて入り手がいませんでした。わたしは最初から外注するつもりでしたので、まったく問題にせず1980年ごろこちらで開業しました。
開業時はこの地域にお住いのお年寄りが多くお見えになり、抜歯ばかりやっていたような気がします。近くに歯医者がいないものですから、悪くなった歯を放置する方が多かったのです。社会が実際に高齢化を迎える以前に、こちらでは高齢化が進んでいたかもしれません(笑)。治療の際は専門的な話をあまり必要とせず、わたしに一任される方が多かったです。説明の必要がないので、自分が専門用語を忘れてしまうくらいでした。しかし信頼を得られているという実感があり、うれしかったですね。遠くへ引っ越した後もここまで脚をお運びくださる方もいらっしゃいます。
患者さんのご希望に寄り添い、ご満足いただける診療を
専門家としての考えはありますが、それを押し付けず患者さんの要望を第一に考えます。以前グラグラの歯が一本だけ残っている患者さんがいらっしゃいました。その歯を抜いて総入れ歯にしてしまえば楽だと思うのですが、「最後の一本」となればその歯が愛おしいらしく、絶対に抜きたくないとおっしゃるのです。そこで、「その歯だけ毎日10分以上磨いてください」とご指導したところ、その歯は10年以上持ちました。以前は説得して抜歯したこともありましたが、最近はできるだけ患者さんご本人にお任せしています。その歯がまだその人の身体に必要であれば、自然と残ります。一方身体が不要だと感じれば抜けます。必要かどうかは身体が取捨選択していることを、患者さんに教えられました。