横浜きりがおかマタニティクリニック
横浜市緑区/霧が丘/十日市場駅
- 産科
- 婦人科
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山田 春彦 院長への独自インタビュー
産婦人科医だった父の姿
代々医者の家系でしたので、子どもの頃から医者になることを意識していました。「医者になったら、何科がいいかな」と思ってい矢先、母から「産婦人科医にだけはならないで」と言われたんです。おそらく、産婦人科の医者である父の姿を見てきたからかもしれません。ですが、あえて私はその道を選びました(笑) 理由は、母への反発心ということもありましたが、単純に「産婦人科医の父を知りたい」と思ったからなんです。
父は、私が大学生の頃に病で倒れ、帰らぬ人となりました。そのとき、「父のことを、もっと知っておけばよかった」と思ったのです。父は寡黙な性格でしたが、お酒を飲むと暴れるような人でした。そのため、父と仲良く話した記憶はほとんどありません。ですが、「いつか息子と仕事ができたら」と父は思っていたようです。父が遂げることができなかったその先を、私が歩んでみようと思えたんです。ある意味、母の言葉は良いきっかけでしたね。
「人や社会に恩返ししたい」という思い
産婦人科医は、夜中のオペや緊急を要する診察もあり、なかなか過酷な仕事だと思います。大学時代の後輩たちのほとんどは産科を断念し、婦人科のみに絞ってしまいました。やはりそれだけ大変なんですよね。
そんななか、私が67歳まで続けられたということは、神様に「この仕事を全うしなさい」と言われているのかなと思います。60代になってからは、野心よりも「人や社会に恩返ししたい」という思いが強くなりましたね。今後も出産を控える患者さまに向き合っていきたいと思います。