中神内科クリニック
横浜市青葉区/荏田西/江田駅
- アレルギー科
- 呼吸器内科
- 内科
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中神 和清院長への独自インタビュー
豊富な知識と経験をいかし、地域医療に貢献する
いささか単純なのですが(笑)、私の両親が医師だったことがこの世界へと進む端緒となりました。母が開業医で、父は大学に勤務しながら病院を手伝っておりました。昔のことですから、開業医には日曜祭日もないのが当たり前。夜中だろうが呼び出されて、大変な仕事だということを感じていたものの、そうした親の背中を見ながら育ったことが自然とこの道を選ぶきっかけとなったのでしょうね 大学を卒業後、昭和大学の第一内科へと配属されました。第一内科は、当時からアレルギー治療における言わば大本山の一派と見られていました。ここで私は、呼吸器、それにまつわるアレルギー疾患やぜんそくを中心に診療をおこなうことになったのです。 平成元年(1989年)のことだったと記憶しています。その頃は今のようにステロイド吸入が治療として確立されていない頃で、ぜんそくの治療そのものが大きな山にぶつかっていたような状態でした。「何か有効な手段はないものか?」と模索していた私は、東洋医学の研究会に出席したことを契機に、富山薬科医科大学へと留学をすることになったのです。今も数少ないのですが、富山薬科医科大学は自らの病棟を持ち、患者さんにつきっきりで漢方治療をおこなっている施設でした。40の手習いと言いましょうか(笑)、その年で新しいことを覚えようというのですから、1日中漢方漬けになれるところはないものかと考えてそちらにお世話になることになったのです。 願った通り、朝から晩まで漢方漬けの毎日を送りました。もちろん、この期間で漢方のすべてがわかったわけではありませんが、その意図するところ、やり方についてはしっかり身につけられたと考えています。今も日々勉強をしながらの診療となりますが、ここでその基礎を学べたことは、非常に大きかったと言えるでしょうね。 平成5年(1993年)に『中神内科クリニック』を開設致しました。私は藤が丘病院、北部病院に勤務していましたので、この場所は地理的に非常に便利だったのです。また、当時この辺りはドクターがほとんどいらっしゃらなかったということで、私なりに地域への貢献が出来ると考えての開業でした。
患者さんご自身の手で、症状をコントロールしていただきたい
一般内科に加え、呼吸器のアレルギー疾患の方がほとんどで、このうち、ぜんそくの患者さんが150人というところです。ぜんそくというと、小児の病気というイメージを持たれてる方が少なくないかと思いますが、決してそんなものではありません。発症時期としては、乳幼児と更年期がほとんどであり、乳幼児からそのまま持ち越していらっしゃる方も少なくないのです。 こちらでは、「治すのはあなた自身」という考えを身に付けていただけるように考慮しています。ぜんそくを例にしましょう。発作が起きるのは、夜中の3時、4時、5時というところ。何もせず朝まで待っていれば、軽症だったものが重症になる可能性があります。であれば、発作が起きた時、どう対処すれば良いのか、患者さんご自身が知らないことには何も始まりません。まず自らが病気をコントロール出来るようにすること。その結果を受け、相談をしてもらいながら治療を進めていく。それが当クリニックの治療方針ということになってきます。