たま小児クリニック
横浜市青葉区/美しが丘/たまプラーザ駅
- アレルギー科
- 小児科
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松林 昭男院長への独自インタビュー
幼少期の体験をきっかけに、医師を志すように
子供の頃は体が弱かったので診療所に行くことが多かったのですが、そこのかかりつけの先生がやさしい方でずいぶん助けていただきました。当時の先生方は病状が悪化すると、深夜でも厭わずに往診に駆けつけてくださったので、本当にありがたかったです。やさしく頼れる先生のお姿は子供心に大きなインパクトがあり、理想の大人像でした。いつか自分も先生のような大人になれたら….そんな気持ちで医師を憧れの職業と考えるようになりました。
もうひとつの大きな出会いは、細菌学の偉人について書かれた書籍でした。さまざまな困難を乗り越えて病原菌を発見し、医学の発展に尽力した野口英世、北里柴三郎、パスツールなどの話もわたしを夢中にさせました。幼少期にこのような体験をしましたから、必然的に理科系の科目に興味を持ち、得意科目になっていきました。医学部を受験することは大変でしたが、条件は揃ってきたのかもしれません。
大学卒業後はしばらく医局に勤めていたのですが、年齢を増すにつれて大きな組織で診療するよりも、じっくり1人1人と向き合いたいと考えるようになりました。以前から自分は小児科に向いているかもしれないと思ってはいたのですが、いよいよ子供の頃の夢を実現するときが来たと考え、独立開業しました。
開業した昭和43年(1968年)当時は、たまプラーザ周辺もまだ田舎でした。団地ができたくらいで、小川がありカエルの鳴き声が聞こえるような場所でしたから、子育てにも恵まれた環境だと考えて開業地に選びました。わたし自身、すでに開拓・整備された場所に住む気にはなれなかったのです。開業して間もなく小学校ができ、幼稚園ができて、子供たちの元気な声があちこちから聞こえてくるようになりました。
開業から半世紀、地域に根差して診療を続ける
長らく小児科はこの辺で一軒だけでしたから。幸い最初に通ってこられた世代がお子さんを連れてお見えになり、さらにそのお子さんが成長して自分のお子さんを連れて来院されるわけです。何ともありがたい限りです。お父さん・お母さんが昔から知っている先生だということで、お子さんにも安心感があるそうです。男のお子さんは中学生くらいになると若いお母さん方が大勢いらっしゃるので、恥ずかしがって足が途絶えますが、女のお子さんは高校生くらいまで通ってこられます。新しいランドセルに見せにきたり、進路の報告をしに来ます。小児科の医師を続けていて、一番うれしく感じる瞬間ですね。