金子整形外科
川崎市高津区/久地/久地駅
- 整形外科
- リウマチ科
- リハビリテーション科
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金子 院長 & 市川 副院長への独自インタビュー
大学病院で培った技術と知識をもって、地域医療に貢献する
【金子 修 院長】
私は子供の頃、身体が弱かったんです。おそらく、それがあって母親は私に医者になることを希望し、私はその希望に沿ったという形になるかと思います。
実のところ私はあまり医者になるつもりはなかったのですが、整形外科を選択したのは、手先を使うほうが自分に向いていると思ったからなのです。その時点では、この分野を非常に単純なものと捉えていたと言えるかもしれません。ところが実際になってみると、見事なほどに何も出来ない(苦笑)。当然のことながら、医者になりたての頃は治療の腕も知識もまるで伴ってないわけですから。患者さんを目の前にするようになり、自分の仕事への責任感と覚悟を新たにしたことを憶えています。
私の大学では、転勤が付きものでしたが、私は開業する前は登戸病院に勤務していました。そちらでおよそ5年余り。そこで後輩から「先生、開業をされるつもりはありますか?」と示されたのが、まさに、ここ、なのです。このビルは、私どもを含め、内科、小児科、歯科と、医療モールの形態をとっています。地域唯一の医療機関の一翼を担うべく、当院はスタートを切りました。
市川先生と私は大学の同級生になります。開院当初は私1人でやっておりましたが、これが結構大変で。市川先生に「手伝ってくれないか」と声をかけたところ、快く承知してもらったのです。最初は「手伝ってもらう」という形でしたが、私1人では寂しかったものですから、「居てくれない?」となって、今の運びとなったという次第です(笑)。
【市川 亨 副院長】
私の場合は理科系が好きでしたから、進学も理科系を目指していたのですが、思わぬことに浪人をすることになってしまいました。そしてちょうどその時、私の小学校に入る前の従兄弟が、肺がんを患い亡くなってしまったんです。それを機に180度方向を変え医学部を目指すこととなりました。転機というのは、本当にああいったことを言うのでしょうね。
整形外科を選択するについては、私も手先が人より器用な面がありましたから、それを活かそうという思いがありました。また、当時整形外科に尊敬する先生がいらして、その方の元で学びたいという気持ちもありましたね。
私も金子先生に負けず劣らず、全国あちこちの病院をめぐりました。その1つに駒沢病院があります。こちらは今も週に1回診療に訪れている病院で金子整形外科の患者さんを送って手術してもらっています。
各分野のスペシャリストが連携して、質の高い医療を実践
【金子 修 院長】
最も多いのが背骨。つまり腰痛に肩こり、次に膝の痛み。あとは上肢と申しまして、肩から手にかけてのしびれや痛みといったものになります。このうち、上肢に関しては専門である市川先生が主に診断をおこない、また、リュウマチに関しては私の先輩である倉林先生にお越しいただき、外来を設けています。
当院の特徴は、言ってみれば1つの医院に3つ整形外科があるというところでしょうか。背骨、手、リウマチ。それぞれが高い専門性を活かすことで、患者さんにも大きなメリットがあると考えています。