たむらクリニック
川崎市中原区/今井西町/武蔵小杉駅
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田村 義民 院長への独自インタビュー
早く一人前になりたかった研修医時代。訪問診療研修がロールモデルの決定打に
少年時代はアマチュア無線や電気工作を趣味にしてました。手先が器用だったため、はんだごてを使って作業をすることが楽しくて仕方なかったのです。将来の進路を考えるときも、その長所をうまく活かした職業につきたいと思い、工学部にすすもうかと考えていました。
でも、「自分の修める学問を、人の役に立たせることができるのだろうか?」と疑問を持つようになりました。今、目の前にいる人のために役に立つ仕事がしたくなったのです。また将来自分で独立してできる仕事を選びたいという希望もありました。かなり大きな進路変更ではありましたが、親に「医学部を受験させてほしい」と頼み込み、北里大学医学部に進学しました。
卒業生の多くが大学病院で研修を受けたのですが、わたしは卒業後すぐに汐田総合病院をはじめとする民間の総合病院でお世話になり、働きながら実践で研修を受ける道を選びました。廻り道をして、医学部卒業時は30歳前後になっていましたから、早く現場に出たかったのです。特に人手が足りない病院に積極的に足を運び、さまざまな科で研鑽を重ねていくうちに数多くの症例を担当させていただくことになりました。そして一人でいろいろ任される環境で学ぶことが出来ました。
わたしがどのような医師になりたいか、医師としてのロールモデルをより具体的に抱くようになったのは、訪問診療の研修を受けたときです。ご高齢で病気が進んだり脚が悪くなるなどの原因で一歩も外に出ることができない患者さんは、ご家族と医師が協力してお支えしなくてはなりません。さまざまな症状で苦しんでいらっしゃる患者さんとお話するたびに、「求められ、必要とされている医療」について考えることになりました。
2006年、最初は訪問診療に注力した「信愛ホームケアクリニック」を開業しました。当時は医師がわたし一人で、あとは相談員二人という体制でやっていたため、ほとんどわたしが自分のクリニックにいる時間はありませんでした。その体制で診療を続けていきますと、今度は症状が改善して外来で通えるようになった患者さんのサポートができにくくなります。そこで、時間を区切って外来と訪問診療をやっていけば、より包括的に地域医療に貢献できると思い、2014年11月にこの場所に移転して「たむらクリニック」として再スタートを切りました。
人生80年時代の「かかりつけ医」に
クリニックの方針は、「かかりつけ医」であることです。「健康に関することを何でも相談でき、必要な時は専門の医療機関を紹介してくれる身近にいて頼りになる医師」が「かかりつけ医」だとされています。ですから、当クリニックでは専門的な医療は提供できませんが、なるべく幅広い内容に対応するように心がけています。
また長く生きることが当たり前になってきた現在、健康に快適に日々を暮らせるよう「予防医療」の重要性がより高まってきたようにも思います。そこで「かかりつけ医」としては、みなさまがご自身の身体を日頃継続的に管理するための「ヒント」や「きっかけ」を診察の中で折り込んでいけたらと思います。
院長の田村先生は、地域のかかりつけ医として幅広い診療をなさっています。患者さんにもとても優しい、信頼できるドクターです。