神保内科クリニック
川崎市中原区/下小田中/武蔵中原駅
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電話 | 044-753-2281 |
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所在地 | 神奈川県川崎市中原区下小田中2-1-31 中原クリニックビル1F |
最寄駅 | 武蔵中原駅 |
駐車場 | 隣接のコインパーキングに10台以上駐車可能です。無料駐車券をお渡しします。 |
WEB | |
休診日 | 水曜午後・土曜午後・日曜・祝日 |
診療時間 |
[月曜・火曜・木曜・金曜]09:00~12:00 15:00~18:00 [水曜・土曜]09:00~12:00 |
特徴 |
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YOSHIHIRO JINBO 神保 芳宏 院長
総合内科専門医 /循環器専門医 |
※医院情報は神奈川ドクターズ(株式会社アートブルー)が独自に収集したものです。記載されている内容は変更されている場合もございます。来院の際は念のため各医院様へご確認ください。また、情報の修正をおこなう場合は『掲載情報の訂正・削除・追加の依頼』よりお願いいたします。
神保 芳宏 院長への独自インタビュー
地元に帰ってきて気づかされた父の偉大さ。
1958年(昭和33年)に父が下小田中で産婦人科医として開業し、以降1995年の閉院まで37年間ずっと地域医療に貢献してまいりました。父の診療所で生まれた方はもちろん、婦人科系の不調、風邪などの一般的な疾患でかかられた方を含め、いつも診療所にはさまざまな患者さんがお越しになりました。必然的に子どもの頃から父の仕事ぶりを見ながら育ちましたので、医師の仕事にはある種の「尊さ」を感じてきたのだと思います。多感な高校生の頃は別の選択肢を検討することもありましたが、最終的には医学部入学を目標に勉学に励みました。
大学で勉強を進めていくうちに全身を診る内科医として働きたいと考えるようになったため、母校である昭和大学医学部内科に入局し20年ほど同大大学病院ならびに関連医療施設で勤務医として患者さんのお世話をさせていただいておりました。そして医局から関東労災病院に派遣され中原区在住の患者さんを診察するようになりますと、父が診察していた方にお会いする機会が増えました。父の患者さんがわたしのことを覚えていてくださったのです。
わたしが内科医になってしまったため、父の産婦人科の診療所は継承出来ませんでした。1995年に父は脳出血で倒れて診療所を閉院したため、それまで通っていらした患者さんはとてもお困りになったそうです。そして関東労災病院で「お父さんの後は継がれないのですか?」「せっかく中原区に戻っていらしたのですから、是非ここで開業してください」といった声を繰り返し伺うようになりました。産婦人科医でありながら、風邪やけがなどの一般的な疾患も丁寧に診察していた父は、本当に地域のみなさまに必要とされていたのだそうです。そんな父をますます誇らしく思うようになったわたしは、やはり自分が役割を引き継ぐべきだと思うようになり2003年11月に同じ下小田中で開業することになりました。父の診療所すでに閉院していたため、まったく新規開業となりました。
「あと10時間」の患者さんをお救いできた瞬間
わたしは、長年医局で培った専門医としてのスキルを地域医療に役立てていきたい気持ちで開業しました。また急を要する病気や専門性の高い疾病は近隣病院との連携が欠かせないため、長年にわたり信頼できる先生方と太いパイプを築き、幅広い人脈形成にも注力してまいりました。現在では年間で100件以上の症例を他院につなぎ、幸い数多くの患者さんが危機的状況を脱して安定期に入り、療養を続けていらっしゃいます。
なかでも印象的な出来事は、近所の診療所の先生から、「自分では判断がつかないが、胸痛があるので先生にお願いしたい」というオファーがあったときです。わたしは内科の中でも循環器を専門としていたためお声がかかったのです。胸痛以外に所見が無いので診断に苦慮したのですが「解離性大動脈」を疑い、川崎幸病院を紹介しました。CT検査で診断が確定され、その患者さんは緊急手術を受けることが出来ました。あと10時間遅れていたら亡くなっていたと思います。このときは本当に「病診連携」のための基礎をしっかり築いていてよかったとしみじみ感じました。患者さんの病状に応じて、それぞれを得意分野としている日本医科大学病院、関東労災病院、川崎幸病院などをご案内させていただいています。
神保芳宏先生は私の主治医で、何か気になることがあれば相談させていただいています。とても優秀な方で、かつ、一緒にいて楽しい気分になれる方ですよ。