さとう内科クリニック
横浜市青葉区/藤が丘/藤が丘駅
- 内科
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佐藤 尚太郎院長への独自インタビュー
大学病院で培った知識と経験をいかし、地域医療に貢献する
“子供のころから医師を志し”などというきれいな話ではなく初めはぼんやりとしていました。
父親は営業職のサラリーマン、母親は専業主婦の家庭に育ちました。父親は朝早く出勤し帰りも遅かったことを記憶しています。毎日ネクタイをしめ満員電車通勤と子供心に大人って大変だなと思っていました。そのころの理不尽な上司に逆らえないサラリーマンの悲哀を誇張したテレビドラマの影響や人間国宝の陶芸家や刀鍛冶がやたらにかっこよくみえたことなど、当時は明確にはわかりませんでしたが「何かの専門家になれれば良いな」という気持ちは潜在的にあったと思います。中学生・高校生を経ても専門家になれればという気持ちは潜在的にあったと思いますが将来何々になりたいと日々生活していたわけでなくボーと過ごしていました。体のこととか食べることなど日常生活の中の身近な分野しかあまり興味もわきませんでした。そのころに最初は漠然とですが将来は医者か料理人が良いなと思いました。大学受験を経て幸いにして医学の道へすすむことになりました。今思えば初めは漠然としていて志の高いものとは言えませんでした。仕事はやっていくうちに興味も深くなりやりがいを感じ、同時にその責任の重さを痛感しました。今から思うと私は医者になる前ではなく、医者として歩き初め、日々の出会った患者さんや指導者、先輩、後輩などいろんな人々に影響を受けて志が芽生えてきたと思います。今となっては“子供のころから医師を志し”という方に負けないくらいのものは持っていると思います。
私の時代は大学を卒業すると大学病院で研修し医局に入局する仲間がほとんどだったと思います。当時の私の医者像は研究者でなく臨床医、手術室でなく外来というイメージでした。そんなことから今ではあたりまえですが当時からいろんな科をローテーションし経験できる昭和大学藤が丘病院の内科で研修をすることにしました。
幅広い分野の中で内科を選んだ理由は、目や耳など細分化した臓器よりはつながって相互に作用している臓器に興味があったからかもしれません。内科は広範な診療分野ですので、なかなかすべてを学びつくせませんし、また多くの臨床経験も必要です。まだまだ学ぶことがたくさんあり、日々勉強していかないといけないので大変ですが、一方で興味の尽きない分野でもあります。内科の中でも内分泌・代謝科を専攻し昭和大学藤が丘病院内分泌代謝科を初め、甲状腺専門の伊藤病院などで計19年間内科診療に従事しまいりました。これら勤務医としてさまざまな経験を活かし独立・開業する運びとなりました。地域の方のお役にたてるよう専門医として長く経験を積んできた糖尿病や甲状腺疾患はもちろんのこと総合内科診療も尽力する所存です。
地域の中のクリニックで、患者さんとゆっくり向き合っていく
正直、長年患者さん1人ずつと向き合い丁寧な診察をしたいと考えてきました。しかし、実際の大学病院での診療はでは日々数多くの患者さんが訪れ、どうしても病気中心の診療になってしまっていました。悲しいことに「ほかに具合の悪い場所はありませんか?」という質問はしづらい環境でした。予約が後ろの患者さんが何時間待ちにならないように仕方ないことだと自分に言い聞かせていましたが、患者さんには尽くしきれていないとの思いがありました。大学病院を辞めクリニックを始めた現在は患者さんも少なくたっぷり時間をお取りすることができます(笑)。ただ、現在でも大学病院は今困っている疾患を中心に治すべき場所とも思えます。先に述べたような診療になってしまうのもやむを得ないとも考えています。クリニックとの役割分担がきちんとできていればよいと思っています。